傘がない

朝、久々に雨の中の出勤。

夜、会社を出るころには雨が止んでいた。
傘を置いていこうかと思ったが、思い直して連れて帰ることにした。
さ、帰ろ。

南浦和に到着。
駅を出ると、雨が降っていた。

ラッキー♪

雨が降るのはラッキーじゃないけど、傘を持ってきてよかった。


さて、駅前のコンビニに寄ろう。明日の朝、食べるパンを買いに。
ついでに、ちょこっと雑誌をパラパラッとめくっちゃったりなんかして。


数分後、店を出ると

傘がない。


僕は、雨の中を歩いた。

春雨じゃ 濡れて帰ろう。

濡れながら、腹が立った。
そりゃあ、どうせビニール傘ですけどね。
でも、ワンタッチのやつだから、ちょっといいビニール傘なんだぞ。

たかだか数百円のビニール傘を盗られたことくらい、些細なことかもしれない。
でもそんなことで腹立つんじゃなくて。
この傘を持っていったら持ち主が困るであろう、なんてことは全然お構いなしに、罪の意識なんてこれっぽっちもなく、ただ自分のことしかアタマにない盗っ人野郎がこの世に存在し、そんなヤツのせいで自分が雨に濡れていることに、腹が立つのだ。

傘を持っていくヤツというのは、ホントに罪の意識がないからタチが悪い。
まるで無料貸し出しの傘でも持っていくかのように、フツーに持っていってしまう。
昔、まだみんな貧乏な時代、銭湯を出るときに一番よさそうな下駄を履いて帰る、なんてこともあったそうだけど。
傘を盗むヤツは、別に傘を買う金がないわけじゃない。
その傘の持ち主のこと。この傘を持っていったら持ち主が困るだろう、という、小学生でもわかるようなことすら、考えが及ばない。
そんな人たちが、実はこの世にはたくさんいて、普段はフツーに一般市民として暮らしている。

そんな人のために、僕は今、雨に打たれている。

でも、考えた。
僕が濡れたおかげで、どこかの誰かは、雨に濡れないで済んだ。

よかったじゃないか。
別に感謝されもしないだろうけど。

僕は考えた。
きっと、僕の傘を持っていったのは、薄倖の美少女なのだ。
幼くして父を亡くし、からだの弱い母と子ひとりの、貧しい暮らし。あまりの貧しさに、彼女は中学を卒業したら働きにでなくてはならない。
母は、大丈夫だから高校にいきなさい、と言ってくれるけど、彼女には、母がとても無理して言ってくれてるのが痛いほどわかっている。
そんな彼女の、たったひとつの生きがい、それは歌。彼女は歌うことが大好きだ。
そして彼女は、一生に一度とも思えるわがままを、中学卒業の記念に母におねだりした。

一度だけでいい、歌のコンクールに出たい。

若い頃は歌手を目指していた母と、天才ピアニストだった父。母はそのことを娘には秘密にしていた。でも、やはり血は争えないもの。
今まで不自由な思いをさせてきた娘のため、そして志半ばに終わった自分と亡き夫の夢のため。
一度だけ、という約束で、彼女はコンクールに挑戦することになった。
親譲りの天性の歌声と音楽的才能で彼女は大人たちを驚かせながらトントン拍子に勝ち進み、ついに全国大会出場が決まった。
全国大会を翌日に控えた最後のレッスンの帰り道、駅を出ると、突然の雨。

あ・・・傘、持ってない・・・

ただでさえ苦しい家計、さらにコンクールに備えて歌のレッスンも受けていたため、彼女は電車賃程度のお金しか持ち合わせていない。
タクシー代どころか、ビニール傘を買う金すらない。
つまり、濡れて帰るしかない。
彼女は両親から豊かな音楽的才能だけでなく、あまり丈夫ではないからだまで譲り受けてしまった。
駅から家まで、歩いて30分。
この雨の中、家まで濡れて帰ったら、間違いなく風邪をひいてしまうだろう。

そんな・・・明日はいよいよ全国大会なのに・・・わたしと、お父さんとお母さんの夢をかなえるための舞台なのに・・・

ふと、駅前のコンビニの傘立てに目が留まった。
ワンタッチのビニール傘が
まるで、持っていけ、と言わんばかりに
無造作に傘立てに突っ込まれている。

神様、傘の持ち主の方、そしてお父さんお母さん。
たった一度の私の罪をお許しください。
いつかきっと、この罪は償いますから。
どうか今だけ、この傘を使うことをお許しください―


・・・と、ここまで妄想したところでマンションに着いた。
ちょうど今日は春コートを羽織っていたので、それほど濡れ鼠という感じでもない。
でも、そんなことはどうでもよかった。
僕は、ちょっぴり幸福な気分にすらなっていた。

その後、「彼女」はどうしただろうか。
家に着いた彼女は、その手にした見慣れない傘を、母にとがめられはしなかっただろうか。
いや、それはないだろう。
きっと彼女の聡明な母は、翌日のコンクールが終わったあと、娘の労をねぎらい、そして
「あなたに傘を貸して下さった方の恩を忘れちゃいけませんよ」
と、優しく諭したに違いない。


その後「彼女」が僕の傘をどうしたのか、知る由もない。

ただ、少なくとも、僕の傘のおかげで誰かが助かったんだ。

そう思うと、なんだかちょっぴり心豊かに思えてくるのでした。
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by masafuji1970 | 2007-04-03 23:54 | 日記


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