「加害者」なき「殺人」という悲劇

またしてもやりきれない悲劇が繰り返されました。
「中2女子生徒、いじめを苦に自殺。学校側はいじめが原因と認めず」
ご本人、ご遺族の無念を思うと、本当にやりきれなくなります。

学校側の極めて事務的お役所的で不誠実な対応については、またか、という感じで、この人たちは、生徒たちとその家族の人生・命を預かっているという自覚も責任感も皆無のようです。
このような「学校屋」さんたちには怒りを通り越してあきれてしまいます。
こんな人たちに我が子を預ける親御さんたちのご心配はいかばかりでしょうか。
が、彼らは自殺の「加害者」でもなければ「いじめ」の当事者でもありません。

何故、年端も行かない少年少女たちが、自ら命を絶つところまで追い詰められなければならないのでしょうか?

いじめの怖いところは
1.潜在性
だいたいいじめの対象となるのは、おとなしくて人にものを言えない人が多いものです。
また、誰かに言いたくても、それによる報復を恐れて言えない、というケースが多いようです。
2.罪の意識が希薄
いじめる側からすると、相手に被害を与えているという罪の意識が極めて希薄であるケースが多いようです。
さらに怖いのは、誰しもが、自分では気づかないうちにいじめに加担していることがある、ということです。僕も、あなたも、無自覚のうちにいじめに加担していたかもしれない。
「ドラえもん」でこんな場面があります。しずちゃんの家に遊びに行ったのび太としずちゃんのやり取り。
しず「のび太さん、明日のテストの勉強しなくてもいいの?」
のび「大丈夫、これから全部覚えるから」
しず「え?クラスで一番忘れんぼうのアンタが?」
と、あの優しくて優等生のしずちゃんがのび太をアンタ呼ばわりで指さしてケラケラ笑う、というエピソード(たしか暗記パン)。
他にもジャイアンやスネ夫に便乗してしずちゃんがのび太をからかうエピソードが実は結構あります。ある意味、これも無自覚ないじめの部類に入るでしょう。
いじめの加害者は、遺書に名指しされる人だけではないのです。

被害者は人に言えない。そして加害者には「悪いことをしている」という意識がない。つまり、顕在化しにくい。こういったいじめの特性が「いじめという実態があったとは気づかなかった」「いじめが原因とは認識していない」などというトボケた発言につながるわけです。

昨今のいじめによる自殺等でクローズアップされることによって、いじめは現代的社会問題であるかのように思われる節もありますが、いじめはなにも今に始まったことではなく、古今東西を問わずずっと存在しています。
身分制度や人種差別も、本質においてはいじめと同じと言えるでしょう。
自分よりも下層の存在を作ることによって、自らの優位性を保とうとする心理は、突き詰めていけば種の保存という生命の本能に起因すると言えます。

であるならば、いじめの根絶は不可能なのか、ということになってしまいますが、本能のみで行動する獣とは違って、人間には理性と社会性があります。
相手に対する思いやりの気持ちとか相手の立場になって考えてみるとか、少なくとも、自分の行為が「人の死」につながるかもしれない、と思えば、いじめなどという行為には及ばない、はず、なんですが。。。

今回の中2女子の遺書に名指しされた4名の生徒は予想外の事態に大きなショックを受けることでしょう(と思いたい)。自分たちの行為が同級生を死に追いやった、という事実を真正面から受け止めるにはいささか幼すぎるかもしれません。
が、少なくとも、自分たちの無自覚で心ない行為が、取り返しのつかない悲劇につながってしまった、ということは真摯に受け止めてほしい、と思います。
そしてなによりも、親たちはそれを我が子にきちんと教えてあげなければいけない。
いじめの問題というと、とかく学校側の責任がクローズアップされますが、問題は学校だけではなく、やはりひとつひとつの家庭にあるんじゃないか、と思います。

・・・なんて、子供どころかカミさんもいないのにエラそうなことを言ってますが(爆)
少なくとも将来生まれるであろう(?)我が子には、勉強や運動が苦手でも、思いやりの心を持てる人間に育ってほしい、と切に思います。そうした小さなことの積み重ねでしか、いじめという悲劇はなくならないのかな、と思います。
と、その前にまず、自分がそういう人間にならなければ!
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by masafuji1970 | 2006-10-29 23:19 | 所感雑感


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