masa-fuji的「栄光のヒーローたち」②荻原健司

c0057845_2339485.jpg masafuji的「栄光のヒーローたち」第2回は「キングオブスキー・荻原健司」。
え?意外?なにしろオリンピック好きなものですから(笑)
あ、興味ない方は飛ばすか斜め読みして下さい、長いですから(笑)
趣味と独善の世界に浸れるところがネットのいいところ♪
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荻原健司(早稲田大~北野建設)
言わずと知れた冬のオリンピック、ノルディックスキー・コンバインド団体の2大会連続金メダリスト。日の丸の旗をかかげてゴールインする映像を覚えている方も多いことだろう。
彼が我々の前に彗星のごとくあらわれたのは、1992年アルベールビル五輪。
ノルディックスキー・複合という、それまで日本人にはほとんど知られていない競技の団体戦で、予想外の金メダルを獲得。
さらに、表彰式やインタビュー等での彼の明るく軽妙な立ち居振舞いは、それまでの悲壮感漂うオリンピック選手のイメージを覆し、一世を風靡した。
しかし、彼の本当の活躍はこの後。
世界のライヴァル達に先駆けて会得した「V字ジャンプ」を武器に、ジャンプで リードを稼いでクロカンで逃げ切る、というパターンで勝利を重ね、翌シーズンからのワールドカップでなんと前人未踏の個人総合3連覇を達成。 この競技の王者に送られる「キング・オブ・スキー」の称号をほしいままにした。
当時は新聞のスポーツ欄を開くと毎週のように「荻原優勝、河野2位」という見出しが躍っていたものだ。
スキーといえばヨーロッパが本場。とくにノルディックスキー(ジャンプ、クロスカントリー等)は「ノルディック」という名が示すとおり、北欧諸国にとっては国技に等しいものだが、極東の島国からやってきた最強の王者に本場の人々は惜しみない賞賛を送った。
また国内においても、彼は「世界で活躍する日本の若者」の象徴的存在となり、マイナーな競技であるにも関わらず、多くの国民の人気を集めた。

そして、押しも押されぬ王者として迎えた1994年リレハンメル五輪。
当時絶頂期だった荻原は、「全ての競技の中で最も金メダルが確実な選手」と言われ、よほどのことがない限り金メダル獲得は間違いないと思われた。
ところが、その「よほどのこと」が起きた。
いつものように得意のジャンプでリードを稼ごうとした荻原。ところが荻原のスタート前になって、風向きが不利な追い風に。こうした場合、少しスタートを待たせることはよくあることだが、競技委員はそれを待たずにスタートを指示。不利な追い風の中で距離が伸びず、誰もが予想しなかった6位に沈む。翌日のクロスカントリーで追い上げたものの、メダルには惜しくも一歩届かず4位(河野孝典が見事銀メダルを獲得)。
荻原のジャンプのスタートについては、競技委員が自国選手を勝たせようとして、あえて追い風の中をスタートさせた、との憶測も流れたが、荻原本人は「ジャンプ台の下に送風機でもあったんじゃないですか?(笑)まあこの競技ではよくあることですよ」とサバサバした受け答え。この言葉には、ジャンプという競技自体が風等の自然の影響を受けやすい競技である、と言う意味と、その競技の本場において、いわゆるよそ者が戦うには、これくらいの「アウェイの洗礼」は当たり前なのだ、という意味も含まれていよう。スキー後進国から本場に乗り込んで勝ちつづけてきた荻原の、王者としての矜持がうかがえる。
その後の団体戦では荻原はじめ各選手が本領を発揮して見事金メダルを獲得、個人戦での悔しさを晴らす勝利に日本中が沸いた。

だが、このころが彼の全盛期であり、この後は次第に勝てなくなっていく。
あまりに強すぎる日本を警戒したといわれるルール改正もあり、ワールドカップ総合優勝は続けるものの、勝利自体は減っていった。
そして3シーズンで連覇は途切れ、迎えた自国開催の1998年長野五輪。
世界の舞台では若い選手が台頭し、荻原は勝利から遠ざかっていた。
最大の武器であったV字ジャンプも、すでに世界のライヴァルたちが身に付けた今となっては大きなアドヴァンテージではなくなっていた。
しかし、大きな目標としていた自国開催のオリンピックで悲願の個人メダルを獲得すべく双子の弟・次晴とともに出場したが、順位は個人、団体とも4位に終わった。

目標としていた自国開催の五輪を終えた荻原は一度は引退を示唆したが、オリンピックでの個人メダルという忘れ物を手に入れるため、その後も現役にこだわりつづけた。
そして4度目の出場となる2002年ソルトレークシティ五輪。
かつては「最も金メダルに近い男」と言われた荻原も、すでに30歳を超えて競技者としてのピークを過ぎ、今回ばかりは優勝候補に名前が挙がることはなかった(一部の日本のマスコミを除いて)。
結局順位は振るわなかったが、かつての「キングオブスキーヤー」が懸命に走る姿に、日本国民のみならず世界のファンが惜しみない拍手を贈った。
そのシーズンを最後に現役引退。その後も参院選に出馬して当選したりIOC委員に立候補したりと、今なお相変わらずのバイタリティを発揮し続けている。

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つい最近まで、荻原健司は僕と同い年だと思っていて、俺とタメでこんなスゴイ奴がいるんだ、ということでずっと応援していたんですが、実はあちらが1つ上でした^^
今でこそフットボールの中田、メージャーリーグのイチロー等、世界の舞台においても一流といわれる活躍を見せている日本人選手が増えており、また近年のオリンピックでも若い選手が伸び伸びと実力を発揮して素晴らしい活躍を見せていますが、かつては国民の関心のあるスポーツといえばプロ野球や大相撲などドメスティックな競技ばかりで、オリンピックといえば重圧につぶされて実力を発揮できずに敗れ去る、というのがお決まりのパターンでした。
そんな日本のスポーツ界に突如彗星のごとくあらわれ、スキーの本場ヨーロッパにおいて「キング・オブ・スキー」の名をほしいままにし、「ヨーロッパでもっとも有名な東洋人」と呼ばれた荻原健司は、間違いなく彼らの先駆者であり、彼の功績はもっと評価されていいと思います。
今後は指導者として、彼自身を上回る選手を是非育ててほしいものです。
頑張れ、Kenji!
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by masafuji1970 | 2005-03-11 23:38 | スポーツ


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